こんにちは!ビジネスメンタルの学校の久家邦彦(くげくにひこ)です。

潜在意識とは、意識していない全ての意識です。

つまり、潜在意識を意識すれば、その時点で潜在意識ではないとも言えるかもしれません。

何だか、禅問答のようですね。

ともあれ、意識することで意識していない領域を確認することが出来るので、まずは意識付けを行う習慣を付けておくことは大切だといえるでしょう。

普段、私たちは、

  • 歩いている時、
  • 自転車に乗っている時、
  • 自動車を運転している時、
  • 着替えている時、
  • 椅子に座っている時、
  • 食事をしている時・・・

いちいち考えながら生活していないと思います。

考えないで手や足を動かしている、行動している。

それこそが無意識、潜在意識の領域なのです。

つまり、日常の行動が潜在意識に支配されて言えるので、毎日の生活の95%以上が潜在意識によって活動しているということです。

厄介なのは、思考も潜在意識に支配されているということです。

言い換えると「思い込み」です。

あなたの考え方、「思い込み」一つで、人生は変わります。

あなたの身の周りで起きていることをどう考えるか。

身の回りに起こった当たり前を「奇跡」だと思えると「感謝」になりますね。

じつは、、、

『たった今、あなたがあなたの隣にいる人と出会った確率』は
1/5023杼6500垓(=0.00000000000000000000002%)だそうです。

他にも、『あなたの生まれてきた確率』なども、興味は無いですか?

続きはこちら。

潜在意識と日常生活

普段、私たちは、例えば歯を磨くときに、

「今右の上の奥歯を磨いている。次は下の奥歯を磨くだろう。」

や、玄関で靴を履く時に

「今から靴を履くぞ。まずは右足のつま先から靴の中に足を入れる。」

などと思いながら生活をしていません。

歩いている時、自転車に乗っている時、自動車を運転している時、着替えている時、椅子に座っている時、食事をしている時・・・いちいち考えながら生活していないと思います。

考えないで手や足を動かしている、それこそが無意識、潜在意識の領域なのです。

ですので毎日の生活の実に95%以上、潜在意識によって活動しているということです。

この『95%が潜在意識、無意識』であるということ、残りの5%を占めると言われている『顕在意識』について、もっと詳しく知りたいという方は、こちらの記事をご覧下さい。

潜在意識(無意識)と顕在意識の違いについて

潜在意識と思い込み

厄介なのは、思考そのものも、潜在意識に支配されているということなのです。

要するに「思い込み」です。

普段、自分が考えている、「〇〇だったら、〇〇だよな」など、本当にそうなのでしょうか?

もしかしたら思い込みということは無いのでしょうか?

例えば、私たちは生まれてから、6歳までの間だけでも、5万回以上保護者から「〜〜しちゃダメよ」と言われてきました。

自分にとって、その人がいなくなったら生きていけないと、本能でわかっている絶対的指導者の口から「〜〜しちゃダメ」と言われ続けると、言われた本人の自己肯定感は著しく下がります。

「ああ、自分はダメなことをしてしまう人間なんだ」と。

また、「危ない!」とも言われてきたと思います。

すると、「この世界は危ないんだ」と思うようになります。

もちろん、親(保護者)に悪意があったわけではありません。

その子のため、その子を愛しているからこその忠告だったのですが、幼い頃から言われ続けた言葉は、その人の人格や考え方に相当の影響を及ぼしています。

普段、意識していない潜在意識の中に蓄積されながら・・・。

「私は自分に自信が持てない」

「どうしても、これを成功させることができるとは思えない」

「初対面の人と話すのは、緊張する」

などと思うことは、至極当然のことなのです。

なんといっても、自分はダメな人間で、この世は怖い世界なのですから・・・。

しかし、本当にそうなのでしょうか?

本当に、自分はダメな人間なのでしょうか?

本当に、この世は怖い世界なのでしょうか?

もしかしたら、そう思っているのは、他ならぬ自分だけということは無いでしょうか?

「思い過ごし」「思い込み」ということは無いでしょうか?

一度、振り返って自分自身を深掘りしていくと、自分でも驚くような真実が表出する場合もあるのです。

もし、立ち止まって動けなくなったりした時は、行動するための指針を、まさに「潜在意識」が教えてくれるかもしれません。

日常にある奇跡

次に、表題にもある「奇跡」です。

「奇跡」とは、常識で考えて起こりえない、不思議な出来事。現象。とあります。

出典:goo国語辞書

まさに、普段は起こり得ない出来事ということです。

ここに、面白い統計があります。少しご紹介しましょう。

「色々なことが起こる確率」

1.ガリガリくんの当たり棒   1/25 (=4%)

2.年賀はがき1等当選     1/100万 (=0.0001%)

3.自動販売機の下にお金が落ちている確率 1/10 (=10%)

4.自動販売機の平均当り確率 1/100 (=1%)

5.黒ひげ危機一発が飛び出す確率 7.7/100 (=7.7%)

6.「お客様の中にお医者様はいますか?」でいる確率 7/10 (=70%)

7.カジノで億万長者になれる確率 1/60万 (=0.0002%)

8.ジャンボ宝くじで夢を掴む確率 1/1700万 (=0.000005%)

9.雷に撃たれる確率     1/1000万 (=0.00001%)

10.隕石が頭に直撃する確率  1/100億  (=0.000000001%)

11.毎日飛行機に乗っていたとして事故に遭う確率 1/20万 (=0.0009%)

12.一生涯に自動車事故で死傷する確率   1/2  (=50%)

13.四つ葉のクローバーができる確率   1/10万   (=0.001%)

14.サメに襲われて命を落とす確率  1/1億1000万 (=0.0000009%)

15.蚊に刺されて命を落とす確率  1/100  (=1%)

16.あなたの生まれてきた確率   1/3億  (=0.0000007%)

17.たった今あなたがあなたの隣にいる人と出会った確率 1/5023杼6500垓
(=0.00000000000000000000002%)

出典:笑うメディアクレイジーより一部抜粋

いかがでしたか?

最初のほうは、笑って読んでましたが、ジャンボ宝くじで夢を掴む確率よりも、雷に撃たれる確率の方が高いのかぁ・・・とか、蚊に刺されて命を落とす確率は結構高いな、蚊ってスゴイ(これは日本国内の話じゃないんだろうな)とか・・・。

最後、16と17は感動してしまいました。

自分が自分として生まれて来る確率は、日本の人口の2倍より低いんですね。

そうだったんです。自分がここにこうやって生きていること自体が、奇跡だったのです。

そして、日頃「憎たらしい」などと思ってしまう、隣にいる配偶者。

そういえば、あの日あの場所に行かなければ、この人とは出会わなかったんだな、出会っていても、どうしてあの時この人の方を選んでしまったんだろう、とか(笑)・・・。

この確率は、なんと読んでいいのかわからないほどの、天文学的な数字で出会うそうです。

ここまで来ると、人間の力を遥か超えて、いわゆる「神」や「宇宙」の仕業と思うしかありません。

いわゆる、「奇跡」です。

奇跡と当たり前の日常

そこで、少し思考を伸ばしてみると、例えば自分が今「ふと」目線を落として見ると、足元に小さな白い花が咲いていました。

この花は、自分が何気なしに「ふと」見たから、そこにあることが気づけましたが、さっさと歩いていたら、自分は永遠にこの花の存在には気づけなかったはずです。

この花がここでこの時期に咲く確率、自分がここを歩く確率、そして自分が「ふと」この花を見る確率・・・。

「小さな白い花を見る」という出来事が、可もなく不可もなくなので、分かりづらいですが、これが「ふと見たものが、10億円の当選くじだったら」人生は変わっていたかもしれません。

逆に、「ふと見たものが、殺人現場だったら」一生トラウマになるかも知れません。

 

何気ない普通のことも、凄いラッキーなことも、凄い凄惨なことも、確率としては天文学的な数字となります。

そう考えると、日々奇跡は起こっているのではないでしょうか?

ただ私たちが、普通に過ぎ去っていく日常を「当たり前」だと思って、過ごしているだけなのかもしれません。

日常は当たり前なのでしょうか?

「当たり前」なことが実は「当たり前」では無かったことを、皆さんもつい最近経験されたはずです。

  • 会社に行くのが当たり前
  • 学校に行くのが当たり前
  • 部活があるのが当たり前

子供たちの中には、人生でたった一度の出来事になる学年の子もいました。

県大会が、甲子園が、インターハイが、体育祭が、文化祭が、修学旅行が、入学式が、卒業式が、あるのが当たり前・・・。

「当たり前」なことは「当たり前」ではありませんでした。

皮肉にも「当たり前」なことが「当たり前」ではなくなった時、人はその「当たり前」が「奇跡」だったことに気づきました。

今現在の私たちの生活は、「奇跡」の積み重ねで成り立っていたのかもしれません。

潜在意識と奇跡の相関関係

大袈裟にいちいち感動しながら、生活する必要はないと思いますが、「当たり前」だと思って過ごすと、なんだか心が冷んやりします。

「奇跡」なんだと思って過ごすと、心がほんわか暖かくなります。

なぜでしょう?

「意識」していなくとも、そのような心持ちになります。

あくまでも、個人の見解ですが、「潜在意識」は心が暖かくなるほうを選んでいるのかもしれません。

「みんな、それね、当たり前じゃ無いんだよ」と教えてくれているのかもしれません。

それを気づかせるために、世界中で色々な厄災、災害、紛争が起きているとすれば、あまりにも多くの犠牲を払い続けています。

もう少し、優しく気づかせて欲しいと思ってしまいます。

古今東西の人々の潜在意識

ただ、歴史を紐解いても、厳しい身分制度が当たり前だった時代からのフランス革命、ロシア革命、日本でもこのままじゃいけないと若者が立ち上がった明治維新、酷い軍国主義からの第二次世界大戦敗戦、人々の「潜在意識」がマグマのように沸き上がって、世界が「住み良い方に」変わって来て「今」があります。

人々の気づかない「潜在意識」が「今」の「奇跡」を創り出したというのは大袈裟でしょうか?

連綿と伝わって来た、歴史上の名も無い人々の「世の中を変えよう」とした潜在意識が奇跡を起こして「住み良い今」があるからこそ、それをわかっている自分たちの「潜在意識」が「奇跡」を「感謝」することによって、心が暖かくなるのかもしれません。

「当たり前」なことは何一つ無かったのです。

100億円資産があっても、「こんなの当たり前、ちゃんとセキュリティー強化しないと、誰に盗まれるかわからない」と不安に思いながら生きている人と、10万円収入があって、「良かった!世の中の皆さんのおかげで、今日も楽しく暮らしていける」と心の底から喜んで生きている人・・・。

どちらが「幸せ」だと思いますか?

100億の資産を抱き抱えながら、人を疑い一日中ビクビク不安に苛まれている人は、幸せそうには見えません。

10万円の収入を心から喜べる人を見ると、微笑ましく思えます。(もうちょっと欲しいけど)

そして、この先「より良い」人生を送るのは、どちらの人でしょう。

古今東西、「潜在意識」は「より良い」方に進化したがっているとすれば、伸びしろがあるのは、明るく生きている人の方でしょうか?

まとめ

いかがでしたでしょうか?

潜在意識とは、日常生活の中で95%以上を占める、自分でも気づかない意識のことでした。

また、幼い頃に培った保護者からの「愛情」は、皮肉にも自分自身の潜在意識の中に積もりに積もった「思い込み」となったようです。

「奇跡」とは、遠い存在のようで、実はとても身近にありました。

ある事実が起きた時に、それを「当たり前」と思うか、「奇跡」と思うかによって、その思いが「潜在意識」に蓄積し、その後の人生が変わっていくかもしれないということでした。

 

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