ソフトバンクの『孫正義社長』の講演をUストリーミング配信を観ました。
深夜2時から見始め、朝4時過ぎまで熱中してしまいました。
孫さんの「」の裏にある熱いものを感じました。

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<魔法のレシピ>
人生に高い志をもとう
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◆孫社長は10代のときに読んだ「竜馬がいく」から坂本竜馬の大ファンになりました。
孫さんは、19歳で50年計画をたてました。
・20代で、名乗りを上げる
・30代で、軍資金を溜めて
・40代で、ビジネスを形にして
・50代で、後輩にひきつぎ
・60代で、次の経営陣に引き継ぐ
孫さんは19歳にたてたというこのビジョンを、今までに1度も変更していないそうです。

◆孫さんは高校を退学してアメリカに渡りますが
当時、父親が入院しているなかでアメリカ留学を決意したため、廻りの人からの非難もあったそうです。
覚悟を決めて望んだアメリカ留学では寸暇を惜しんで猛烈に勉強しました。
この留学中は常に左手に書籍をもっていたので、食事のときにお皿を両方の目でみて食べたことがなかったといいます。

◆ちなみに孫さんは、大学留学中に時間を節約するために
「1日5分で1000万円になるアイデアはないか?」と考えて、毎日、発明のアイデアを5分間出し続けたそうです。
そこで出てきたアイデアが自動翻訳機です。

◆当時、アイデアはあっても、それを形にする技術やお金のなかった孫さんは、自分の通う大学の先生達に
「こういうアイデアがあるので、作ってください。時給は先生の欲しいだけだしますので・・・」と依頼したそうです。
ただし先生に
「今はお金がないので、先生がつくってくれた商品で特許をとり、それが売れたときには先生のいう時給は全額支払いますから。」と依頼したそうです。

◆すると先生は「面白い学生がいる」ということで、孫さんのアイデアの翻訳機を研究開発してくれました。
そしてその特許が、シャープに1億8千万円で売れたそうです。
さらにゲーム機を開発して特許をとり、こちらも1億7千万円で売れたそうです。

◆大学を卒業したあと、孫さんは起業して福岡の小さな事務所で2人の社員の前で、みかん箱にのり将来のビジョンをはなします。
「ソフトバンクは将来は豆腐屋と同じに、1丁、2丁と会社の業績を数える企業になる。自分は事業家として数千億円ではなく、数兆円のビジネスをやるんだ!!」と熱く語ったそうです。
その後、このビジョンを聞いていた2人の社員は、退社してしまいました。

◆ところが2000年初頭のネットバブルの際には、ヤフーの株価が急上昇して、1週間に自分の資産が1兆円づつ増えていき、ビルゲイツを抜いて3日間だけ、世界一のお金持ちになったそうです。
孫さんは、デパートを丸ごと買えるくらいのお金持ちになってみると「もうお金はいらん」と思ったそうです。
ところが、その後、ネットバブルが崩壊してヤフーの株価は100分の1となり、また負債が多い企業へと逆戻りします。

◆孫さんは言います。
ネットバブルが終わったあと「自分は考えた!!」
「自分は何をするためにこの世に生まれてきたのだろうか?」
「自分が一生をかけるものは何だろう?」
・人の役に立てることで
・やる気が常にさめないことで
・多くの人に役に立つことで
・儲かることで
・情熱を一生持ち続けられることは何だろうか?

◆そして一つの答えを出したそうです。
「自分は世界中の人の知恵や知識を共有できるようなデジタル情報革命の夜明けを迎えるために役にたとう」と・・・
この「志」が、現在のソフトバンクの柱となっているのです。孫さんの講演をお聞きして、孫さんやソフトバンクの活躍を見ていると孫さんの『思考が現実化』していくプロセスを感じますね。

「感動しました。孫さん本当にありがとうございます。」

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<魔法のレシピ>
■人生であなたが登りたい山を決めよう
■あなたが一生をかけるものを考えよう
■自分よりも、優れた脳力のある人たちのに依頼して、その力を借りよう
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