鉄道
書籍『富の福音』は、Aカーネギーが実業家になるまえに、いかに実業家の卵として仕え、そして何故、実業家になったのかが書かれており、深い氣づきと感動をいただきました。
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より質の高いサービスを、より大量に
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◆A.カーネギーは12歳で仕事をはじめて、18歳になるまでに3回転職をしていますが、どの転職のときも、A.カーネギーが最初に考えたのは、賃金のことではなく「勉強時間をとることでした。」

◆紡績工場では、厳しい労働時間の後に、日曜日の時間をつぶして「簿記の勉強」を始めます。
そこで紡績工場の事務員に抜擢されますが、さらに企業経営の数字と簿記の知識をもって当時の花型産業であった繊維工業が、すでに時代遅れの産業に仲間入りを始めていたことに気づいたのです。

◆A.カーネギーが2度目に転職した電信局では、A.カーネギーは電報配達の身分に満足せずに、独学で電信の送受信の技術を覚えて、すぐに電信技士に昇格しました。

◆当時の電信は、送信が始まると受信機で紙テープでモールス信号を刻み込んでいました。
その紙テープの信号を解読して、アルファベットに転換して、電報として配達されていたのです。
ここでもA.カーネギーは、まもなくモールス信号を耳で聞いて、直接、そのまま内容が理解できる、アメリカでもわずか数人の技術者の一人となりました。

◆この電信局で、終生の恩人といえるペンシルベニア鉄道のスコット局長と出会うことになります。
ある日スコット氏はA.カーネギーにぺンシルベニア鉄道の自分の下で、事務員兼、電信技士として働いてみないかと、声をかけてきました。

◆電信局の月額25ドルの給料は、当時、独立して家庭を営むのに充分な金額だったこともあり、A.カーネギーは電信局の仕事や待遇に不満があるわけではありませんでしたが、「何も不満が無いということは、そこで進歩が止まったしまうことになります。」
若いA.カーネギーにとって、これはとても恐ろしいことでした。
それに、電信より鉄道の方が将来性があるように思えていました。

◆スコット氏がペンシルベニア鉄道で、約束してくれた給料は月額35ドルでした。
18歳になって、ピッツバーグの市民としては、一人前以上の収入と地位を得ることができたのです。

◆この後「鉄道の将来」についてのA.カーネギーの予想は完全に当たりました。
彼自身はペンシルベニア鉄道に入って6年目にピッツバーグ管区の責任者となり、ピッツバーグ市の名士で、最も若い一人となったのです。

■Aカーネギーの墓碑銘■
『自分より賢い人々を、身の回りに集める術を心得し者ここに眠る』
『Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.』

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<魔法のレシピ>
■不平等を不愉快に感じたら
その不愉快さを向上のエネルギーに転換しよう
■目の前の仕事を愛し、勉強し、より有能な人となろう
■時代の流れを理解し、将来を見通す先見力を育もう
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